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永井芳美さん

プロフィール

永井芳美さん
1979年生まれ 和歌山県太地町出身

家 族 : 4人(夫、娘、息子)
仕 事 : 佑天(うゆんて)、 ICA認定クレイセラピスト
住まい : 御浜町尾呂志地区

経歴

2007年 航空自衛隊、保険会社勤務などを経て、新宮市へ
2013年 御浜町尾呂志へ
2015年 ICA認定クレイセラピスト、ハーブコーディネーター資格取得
2015年 佑天(うゆんて)オープン
2015年 5月みはまるしぇスタート


Q.今の地域に住むまでの経緯を教えてください。

 もともと海沿いの田舎の出身なんですけど、山での田舎暮らしがしたかったんです(笑) 九州から関東までいろんなところを転々として、紆余曲折あって9年前に和歌山に帰って来ました。しばらく新宮に住んでいたんですけど、山奥の家が空いていたと聞いて喜び勇んで引っ越してみたものの、太陽が10時に出て14時に沈むという想像以上に寒いところで、畑の作物は野うさぎや鹿に片っ端から食べられてしまうし、通勤もしんどくて。結局、2年ぐらいで挫折して市街地に戻りました(笑)

 結婚を機に新宮を出ることになったんですけど、今度は山間部でも日当りが良くて寒くないところがいいなと希望しました(笑)運命みたいに今の家に出会い、即決でした。写真でしか見たことがなかった「風伝おろし」が家の窓から見えるし、畑も出来そうだったし、農業を超頑張っている「夢アグリ」というエコファーマーのグループがあるし、農作物の直売所も近くにあって、野菜も米も美味しいと評判で、もうここしかない!って思いましたね。


永井芳美さん

Q. 住んでからの生活はいかがでしたか?

引っ越した当時は妊娠中で、安静にしておかないといけなかったので思うように動くことが出来なくて、結局入院してしまったんですけどね、子どもが生まれてからはもっと動けなくて。自分のことが何もできないストレスがすごかったです。その頃は周りに友達もいないし、近所のおばあちゃんとは仲良くしていたんですけどね、社会との繋がりがないというか、自分には価値がないって暗くなってました。子どもは可愛いし子育てが嫌というわけじゃないけど、家のことだけ、子どものことだけをしている生活はつらかったです。子育て支援室っていうのを行政がやってくれてるんですけど、そこまで行くのに車で20分くらいかかるんですよ。数回行って、足が遠のきました。「今日、人間と喋ってないかも…」なんて日もありました。やりたいことがあるけど子どもがいたら思うようにできないし、元気もなければ収入もない…、という感じで1年ぐらい悶々としながら過ごしていました。

永井芳美さん

息子が1歳になろうとしていた頃、本宮に移住した主婦たちが主催している「イコラポカラ」という青空市に行ったんですよ。会場内でたくさんの子どもが走り回っていて、子連れのお母さんが赤ちゃんをおんぶして店を出してたり、小さな子どもが店を手伝っていたり。みんな笑顔ですごく楽しそうで、生き生きしていて、キラキラしていて、子どもがいてもやりたいことを諦めていない人たちがたくさんいたんですよ。「私も仲間に入りたい!そういう人たちと一緒にいたい!」とそのとき強く思ったんです。でも、自分には売るものもなければ特技もない…。ただ畑をやりたい、ハーブを栽培したいという思いがあったので、とりあえず畑を借りるところから始めてみました。畑といっても何年か放置されていて雑草天国なんですよ。1歳の息子が常に一緒なので、なかなか作業がはかどらなくて、とにかくしんどかったです。自分より背の高い雑草たちを1週間ぐらいかけて草刈りして、草は燃やせと言われたので集めて乾かしてから燃やして。けっこうな広さだったので、草刈りだけで夏が終わりそう…なんて思いながら作業してたら、通りがかりのおっちゃんたちが「協力したるよ」って言ってくれて、トラクターで土起こしてくれたり、畝立てを機械でやってくれたり、植え付けをしていたら「芋の苗あげるよ」と言ってくれたり、有り難いことに協力してくれる人がどんどん増えました。

 そうこうしていると直売所の組合に登録しないかと声を掛けていただいたので、ハーブなどをちょっとずつ出品するようになりました。毎月数千円の売り上げでしたけど、専門書を買ったり、資格を取ったり、ハーブクラフトの材料を買ったり、少しずつ前進しました。冬が来るころには「木花堂」さんや個人宅でアロマキャンドルやハンドクリームなどを作るワークショップをさせてもらうようになって、なんと憧れの「イコラポカラ」(2015年1月)に出店できることになったんですよ!利益はほとんどなかったんですけどね、青空市に出店するとか初めてのことだったし、ひとつ夢が実現できたっていう達成感を得ることができて嬉しかったです!気がついたら友だちも増えてました。

― 今取り組まれている「みはまるしぇ」の活動もそこから始まったのですか?

 そうですね〜。「イコラポカラ」のあと、3月に「須野(すの)マルシェ」に参加したんですけど、低予算でもマルシェができるんだ!会場が判りづらいところでも国道から離れていても人は来てくれるんだ!って、色々な意味で刺激を受けたんですよ。4月には本宮で「イコラポカラ」、熊野川で「九重(くじゅう)マーケット」に参加したんですけど、三重県サイドの知り合いや友だちから「こっちでもイコラポカラみたいなのをやってほしい」っていう声があって、それで「みはまるしぇ」を5月末にやることになりました。  開催日の一ヶ月前から動き始めたので、今考えたらだいぶ無謀でしたね(笑)

Q. みはまるしぇに出店される方はどのような方が多いですか?

 子育て世代が子連れで出店しやすいようにしているので、手芸や工作など物作りが好きな同世代のお母さんが多いですね。子どもが一緒だと制作時間が殆どなくて、昼寝している時や夜中にコツコツ作業する感じなんですけど、「子育てと家のこと」をするだけの毎日に新しい目標が出来て、生活が楽しくなってきたってよく言ってもらえます。

  最初はお母さんが多かったけど、今ではお父さんも増えて、おじいちゃんやおばあちゃんの参加も増えてます。「自分も何か作って売ってみたい」という子ども店長も増えてます。

  お店を持ちたいという夢がある方や、学生さんの参加もあればいいなって思ってます。


永井芳美さん

Q. 子どもが店を出すことについてどうお考えですか?


永井芳美さん

 とても良い経験だと思います。うちの子(小学3年生)は企画から仕入れ販売まで全て一貫して自力でやってるんですけど、やってみて初めて判ることも多いし、色々な面で自信につながると思うんですよ。将来、就職して、ある日突然リストラされたとしても、自分で仕事を生み出せる力が備わっていれば何処でも生きていけると思うんです。商売はお客さんがあってこそ成り立つもので「感謝の気持ちがお金になる」ということも実感できますし、色々な人に支えられていることも体感できます。学校では学べない貴重な体験だと思います。

  手作り品の販売だけではなくてワークショップもやっているんですけど、人に何かを教えたり伝えたりすることって、簡単なことじゃないですよね。大人でも難しいと感じることを、子どもの頃から創意工夫しながらやってみるって、すごい財産になるんじゃないかと思います。

Q.特に大事にされてる考えはありますか?

  九重マーケットのときに、お香づくり体験をやったんですけどね、その時に、「こういう体験ができる機会がもっとあればいいな」っていう声をたくさん聞いたんですよ。子育て世代が求めているのは、「体験」なんだって強く感じたんです。体験を通して、子どもの得意なことや好きなことが判るし、つくることはただ楽しいだけではなくて、その大変さもわかって、ものを大事にしようと思う気持ちにも繋がるし、つくってくれた人に感謝の気持ちを持つこともできて、心が豊になると思うんです。

  あと、農作物だけではなくて、日用品や服、家具なども地元でつくっている人から買って、循環させていく「地産地消」がやっぱり大事だと思いますね。壊れたら直してもらえるし、リメイクもできるし。それから、音楽、知識、技術なんかもちゃんと地産地消していこうよ、っていつも思っています。みんな謙遜して破格の価格設定をしているけど、ちゃんと利益が出るように価値を上げていってほしいなと思っています。

Q. みはまるしぇはどのような場だとお考えですか?

  「みはまるしぇは出店者とお客さんとの間に壁がないね」「ゆるい一体感が心地よい」などと言ってもらえます。作り手の顔が見えるし、話もできて安心できる。出店者自身がみはまるしぇを楽しんでいて、利益を出そうとガツガツしていないので雰囲気が柔らかいというか。

 人と人との繋がりと体験を大切にしている青空市なので、みはまるしぇがきっかけで仲間ができたり新たな夢ができたり、可能性も広がればいいなと思ってます。

永井芳美さん

Q. みはまるしぇは今後どのようになっていくのでしょうか。

 みはまるしぇの拠点となる、実店舗があればいいなと思っています。みはまるしぇ出店者の品物が揃っていて、物作りなど様々な体験ができる。出店者やお客さん同士の交流もできて、友だちも増える。行けば何か楽しい事が待っている、そんな場所を作りたいですね。

 私自身、みはまるしぇがきっかけで知り合い仲良くなった人が沢山いて、応援してくださる方も増えました。みはまるしぇ出店者の交流会もやっているんですけど、みんな本当に仲良しなんですよ。日々の雑談はもちろん、夢を語ったり相談したり、切磋琢磨して次に繋げたり。子どもたちも毎回すっごく楽しそうに遊んでいます。暗くなっても帰りたくないって泣くほどですよ(笑)ずっと良い関係でいられたらいいなって思います。

 最後に…、みはまるしぇの活動が、地域活性化に繋がり、地元に帰って来てくれる人が増えるといいなと思っています。

 いつも、あたたかいご支援ご協力、ありがとうございます。


(取材・編集:横田直也)

藤井大造さん

プロフィール

藤井大造さん
1970年生まれ 千葉県出身

家 族 :4人(妻、娘、息子)
仕 事 : 有限会社小川耕太郎∞百合子社
住まい : 尾鷲市三木里町

経歴

1985年 千葉県から東京都の高校へ入学
|   東京にて料理・映画関係など勤務
2000年 尾鷲市へ移住


後半:藤井さんの価値観、移住者へのアドバイス (➡前半

Q. 藤井さんの一番大切にしている考え方や価値観があれば教えてください。

 「家族」かな。まず家族があって、その先にすべてがあると思ってて、僕の価値観はそこから来てるね。家族を大事にして、家族が核としてあるっていうのが今の僕の価値観。それは結婚するまで全然なかった感覚だから、今までの価値観からは少しずつ変わってきているんだと思うんだけど、それは都会で住んでいたら全然思わなかったと思う。基本的に都会では、自営業やってない限り通勤1時間くらい当たり前でしょ?僕も都会でサラリーマンしてたけど、定時になんて終わるわけなくて(笑)20時21時なんて当たり前で、一体いつ家に居るのっていう感じだし、絞るだけ絞られて通勤の電車の中でも疲れ切ってるし、土日の休みももう疲れきってるじゃん。生きている価値があるのかとか自分で考えてしまう状況なんだから、そりゃ家族の価値観なんて持てるわけないよね。

 田舎にいる意味っていうのはそこだと思ってる。都会はたしかに刺激的だし、文化的なものも含めていろんなものが味わえるけど、生きた心地がしなかった。ここだと「生きていられる」から、家族が中心になった。僕が生きていて、今家族があって、それで初めて核となっているから、その感覚はたぶんこういう田舎の生活でしか手に入れられない。地方で住む、ってたぶんそういうことだと思うね。地方の会社で残業何時までとか、通勤1時間とか、あんまりないでしょ?(笑)そこが地方で暮らす一番いいところなんじゃないかな。

 でも、これってすごい大事なことだと思うんだよね。やっぱり家族を核にして思っていないと、子どももばらばらになってしまうし、奥さんともそうだけど、やっぱり今そういう歪みがあると思うんだよ。自分にとって何が大事で、何が自分にとっての核なのか、っていう意識がみんな分散しちゃっていて、だから今いろんな問題が起きていると思うんだよね。逆にそれを取り戻すことができれば、そんな問題も少なくなるんじゃないかな。でもこれは都会ではできないと思うし、地方だからこそそれはできると思う。僕がここに住む理由は多分そこなんだろうなと思うし、僕の価値観が変わってきてるっていうのもそこなんだよね。家族を大事にして、家族の仲があって、自分がある。それを大事にしようなんて結婚するまで思ったこともなかったけど、人として一番大事なところだなと思うようになった。

Q. 藤井さんの一番大切にしている考え方や価値観があれば教えてください。

 僕はここに移住してきていろいろ経験もしているし、言えることっていうのは多少なりともあるから、ワンクッションおけるような存在だったらいいなと思っているんだけど、僕は別に誰が来ても拒まないから、来たければ来て、わからないことは聞いてもらえれば僕がわかることは答えるし、嫁さんが尾鷲の向井の出身だから僕がわからないことは嫁さんに聞けばわかる。向井はもう昔からある地域だから田舎特有の鉄の掟があったりするんだけど、その辺は僕も嫁さんに教えてもらったしね。

 僕がこの辺に住めたのは嫁さんのおかげっていうのはすごいある。土地とのつながりがどっかにないとみんな信用してくれないんだよね、その辺はつくづく思う。だから僕はその辺すごく楽だったし、関係性をつくるという点では苦労しなかった。分からないこととか困ったことがあれば何でも嫁さんに聞いているから、相談できる人の存在がすごく大きいよね。将来住みたいと思うんだったら地元の人と結婚するっていうのはやっぱり自分にとってすごい有利になると思うね。そういうつもりで結婚したんじゃないけど、結果的にはやっぱりそうだったと思うなあ。

 あと、「どこに住むか」っていうのはあんまり問題じゃないように思うね。でも好きなところに住む方がいいに決まっているし、田舎だとそんなに外に出かけない生活になるから、住んでいるところで好きな風景がいつも見えるってすごい大事なことだと思う。山が好きな人は山の近くに住んだらいいと思うし、僕は海が好きだから毎日海を眺めるんだけど、それだけで心が安らぐんだよね。「風景が自分にとって安らぐところ」っていうのが住みたいところだと僕は思うから、どこに住みたいかを考える時にはそういう基準を持った方が良いかもしれない。そんな風景が生活の中にあれば嫌なことがあってもたぶんやっていけるし、どの家に住むっていうよりかは、風景がすごい大事なんじゃないかなと思う。みんな移住を決断する時には「どうやって生きていこう…」とか考えるんだと思うけど、たぶんそんな風景を手に入れることが一番大事で、僕が言ってた家族の価値観にも繋がるんだけど、結局田舎に住むと都会よりも家族の価値ってすごく大きくなるから、だからこそ「ここに住んでみて良かったな」って思う場所や風景が必要なんだよね。

 生活のことは二の次で良い。最初から引っ越し先を探すのも仕事を探すのも僕は少し違うと思うな。僕はこっちでたまたま仕事があったからやっているけど、なかったらなかったで何とかするし、ここはどんな需要があるのかを見つけて、こういう仕事が良いなって考えて自分で仕事をつくるか、あるいはその仕事をつくっている人のところに入るか、っていうだけのことだと思うんだよね。だから、考えて移住するのはあんまり意味がないように思う。食いつなぐのに貯金は必要だからある程度は持って入って来なくちゃいけないんだけど、はっきり言って何とかなるんだよ。僕だって海の近くだから朝から魚を釣って食費も浮かせたし、野菜とかも結構もらえるから、別に何に使うっていうのがなければ最小限の収入で生活できるし、だからなんとでもなるよ。コンビニのバイトやったって10万円くらい稼げるんだから、その延長線上で考えれば良い。住むところもとりあえず借宿で住んで、そこから歩かないと良い家なんか見つかるわけないし、とりあえず住むところも仕事も「仮」でやって、そこでじっくり歩いてそれでどうしようかってやればいいのに、頭で考えすぎている人が多い気がする。

 必要最小限のもので暮らすっていうのは田舎の最初の入り口だからね。みんなそうやってここで暮らしてきたはずだからそこから始めればいいだけの話で、それ自体は怖くもなんともない。周りが助けてくれるしね、はっきり言って。都会とそこが違うんだよ、都会は金がなくなったら終わりでしょ?アパート追い出されて、浮浪者になるしかない。でも田舎だと家賃の支払いも待ってくれるところが圧倒的に多いし、その辺はやさしさがあるから、あまり気構えなくても全然問題ないと思うんだけどね。で、だめだったらだめで良いじゃん。それくらいの気持ちで良いんだよ、別に一大決心なんかしなくたって良いんだし。この土地ちょっと合わないなって思うんだったら別の場所に行けばいいし、渡り歩いたって全然良いんじゃないかなと思うよ、僕は。あと、田舎の人に「僕は絶対ここに住みます」みたいなことは言わない方がいいからね(笑)「とりあえずちょっとしばらく居ります」くらいの方が周りの人もそれくらいで見守ってくれるから。だからそれくらいの軽い気持ちで来ればいいのになって思うけどね。

  まあなんにせよ都会のあの通勤地獄から逃れることは幸せの1つですよ。それだけでも来た甲斐はあるよね(笑)時間にしてみたら凄まじく無駄な時間だし、あれ労働にしたらすごいお金でしょ?それでもう疲れるだけだからさ、それから解放されたら最高だよね。それだけでもこっちに来る価値は十分にある。僕も都会に住んでる友達なんかにいつも言うんだけど、「もう僕の60歳とお前の60歳とでは差が歴然としているぞ」って(笑)「もうお前は疲れた爺さんになっていて、定年退職して『僕はこれからどうしよう』って思っているけど、僕は『今日は何して遊ぼうかな』と思っている。それだけ差がつくからな、60歳のとき楽しみだな!」って(笑)遊んでないだろうし、家のローンとか重いもん抱えちゃってるから、同じ年のやつなんかやっぱり疲れた顔してるもん。

 でもなんとかなるんだよ、今の日本だったら。もう不況に喘いでいるわけじゃないし、第1次産業もいくらでも仕事を募集してるからさ、なんとでもなるよ。漁業やりたきゃいくらでも募集してるし、それプラス自分で稼いでもいいし。漁業の人なんかは朝早いから昼から空くじゃん。それでまたバイトでもやればいいんだよ。奥さん働けるなら働いてもいいし。そうすりゃ家族みんな食っていける。簡単なんだよ、稼ぐのなんて。ただ、ここにきて「塾通います」とか、そんなこと思ってたらまた別だけど、普通に暮らしていく分には全然大丈夫だよ。だからさっきの「どこに住みたいか」っていうのがやっぱり重要なんだよね。暮らすのは簡単だから、それがあれば何でもやっていける。

 都会に行っても、都会に住んでいる人に説明するのはその部分だよね。都会に住んでいること考えたら、人間関係も含めて暮らすことなんて全然問題じゃない。だって都会の方が人間関係なんてないじゃん。疑心暗鬼でしょ、周りのことに関して。「子どもがいつさらわれる」とか「大丈夫かしら」って心配になるけど、田舎だったら周りが面倒見てくれるんだから、そう考えれば田舎の方が全然楽だけどね。だから、なんでみんな地方に行かないのかなーって思ってる。まあ情報が少ないからだろうけど。江戸時代だったら移動はなかなかできなかっただろうけど、今は簡単にできるんだから何でも「仮」でやってみたら良いと思うよ。やっぱりやってみないと自分がどこに合うかなんてわからない。僕も30年ずっと都会にいたから、ここに来る決断もしたし、田舎にもともと住んでいて都会に出たのとはまた全然違うしね、やってみないとわかんないんだよ、その辺は。もっとみんな気軽に移住できるようになればもっといろいろ幅が生まれるだろうし、新しいビジネスも生まれるだろうし、もっと気楽に移住してみても良いと思います。

(取材・編集:横田直也)

藤井大造さん

プロフィール

藤井大造さん
1970年生まれ 千葉県出身

家 族 :4人(妻、娘、息子)
仕 事 : 有限会社小川耕太郎∞百合子社
住まい : 尾鷲市三木里町

経歴

1985年 千葉県から東京都の高校へ入学
|   東京にて料理・映画関係など勤務
2000年 尾鷲市へ移住


前半:移住経験、田舎での子育てに関して (➡後半

Q. ここ三木里に移住を決めた理由はありますか?

 ただ単に海のそばに住みたかったというだけなんだけどね。昔から母親が漁師町に住んでいて、うちの両親が山口で小さい頃はよく行っていたんだけど、そこが海の目の前なんだよ。だから海のそばってすごい憧れていた。千葉に住んでいる時は海からと離れていたから、年取ったら海のそばに住みたいなっていう憧れがずっとあった。ここに住みたいなと思ったのは、ここが海のすぐ近くだったから。それと、海の遊びがすごい好きだから。ここだったら歩いて5分で釣りもできるし、潜れるし、泳ぐのも出来るし、サーフィンはここではできないけど、僕がやりたいことが歩いて行ける距離で出来るっていうのがすごい理想的だと思って、ここに決めたんだよね。だから別にこの地域に絞って選んだ、というよりは、海のそばだったからというのが理由。今の家も基本的には紹介してもらって、僕は地元じゃないからそんな探せないから、普段から歩いてみんなに声かけていって、「あの空き家良いな」と思ったら候補として見つけておいて、車が欠かせないから駐車場の場所とか、あとは近所関係とかは気にしていたかな。やっぱりその辺も住むとなったら重要で、最初は一人で住んでいたからそんなに考えなかったんだけど、家族が出来てからは考えるようになって、幸い近所がとても良い人ばっかりだったからそれは結果オーライですごい良かったね。

田舎暮らしってそこがすごく大事。近所の人もだし、地域によって気質も違うしね。三木里は先生とか行政の人が多いから、気質的におとなしい人が多いんだよ。全体的にまちとしておとなしいし、いろいろ良い面も悪い面もあるんだけど、そんなに詮索しないんだよね。僕が鈍感なのかもしれないけど(笑)僕的にはそんなに干渉されることが面倒だと思ったりすることはあんまりない。街中だったらどうかわからないんだけど、ここはどちらかというと海に開けて土地が点在してるから、そういう地形的なことも関係しているのかもしれないね。

― 我慢せざるを得ないことなどはありますか?

田舎でビジネスやるっていうことは田舎の人も雇っているから、やっぱりその辺は気を付けないといけないよね、地元の掟とか。地元の「言ってはいけないこと」とか、人間関係というのは細心の注意を払っている。まあ我慢って言ってもそんなもん仕事だから当たり前なんだけどね。まあそれくらいなんじゃないかな。正直、地域のことに関しては積極的に「仲良くなりたい!」とか「関わりたい!」という風にはあまり思っていなくて、言われたら当然やるし、手伝ってて言われればやるし、アイデアも出したりはするんだけど、別に自分自らやることないから、あんまり地元の関係のストレスとかは、そんなにないかな。だけどこれから「役」とか就くようになるとたぶんストレスを感じると思う。まあ学校のことなんかは子どもが小学校とか入ってからPTAとか今年から初めてやったけど、別にストレスっていうほどのことはなかったかな。楽しくやってるからね。

― 引っ越してくるときに家のことを下調べしたりしましたか?

全然してないね。ただここはすっごいぼろ家だった(笑)風呂場とかも結構直したし、ここ(インタビューの場所)も物置みたいだったのを自分でリフォームしたんだけど、この辺家賃安いからね。こうして直すの好きだし、仕事柄も木材使っているから会社の商品を自分で使えるっていうのもあるのと、日当たりが良かったんだよね。前が空き地だし、隣が畑田んぼだから遮るものがなくて、目の前が拓けているから、住むには良いなと思った。ぼろ家だったけど、別に外観は別に気にしなかったから別に構わなかったし、そんなに何十年も住むとはもともと思ってなかったしね。

― 今後違う地域に住むということも考えているのですか?

考えているよ。やっぱり子どもが大きくなって来たら、今は学校がとても良い学校だから今のところは考えていないんだけど、今住んでいるここも借家だからね、自分で家を建てるっていうのは考えていないんだけど、次の棲み家っていうのは考えなくちゃなと思っているから、まあここ何年かで候補にあたって一応考えてはいるんだけど、ここ三木里にずっと、っていう風には思っていない。でもやっぱり海のそばかなー、って個人的には考えていね。家族がいるから家族の意見も聞かなくちゃいけないんだけど、三重県から外れることはないだろうね。

Q. 田舎で子育てをすることについて教えてください。

近所の人もそうだし、まち全体が子どもに対してどう関わってくれるか、っていうのがすごく大事だと思う。それとやっぱり一番は学校。校風とか、気質とか、地域によっても全然違っていて、合わなかったらちょっとどうかわからないんだけど、周辺の3か所のどこも良いと思っているから、子どもの教育に関してはここの地域で満足しているね。

― 都会と比べると同級生の人数などに差があると思いますがその辺りはどうですか?

さすがに同級生が1人とかだとあれだけど、三木里は、1年生は今年7人、2年生1人、3年生2人、4年生0人、5年生1人、6年生2人、っていうもう本当に典型的な過疎化した小学校で、正直少な過ぎるなとは思ってる。普通合併してるよね。たまたま娘のときは多かったから構わなかったんだけど、来年下の息子が小学校に上がるときは同級生1人だけなんだよね。

自分のときは第2次ベビーブームのときだったから、マンモス校で1学年6クラスの1クラス46人、そんな学校が歩ける範囲に5つもあった。だからはっきり言って人数の多さにうんざりしていたんだよね。遊ぶ場所がないし、どこに行っても人がうじゃうじゃいるし、小さい時は上級生に言えないし、遊ぶ場所がないから釣りをするしかなかった。だから、逆に少ないっていうのはメリットもあるんだけど、ここの人数は少なすぎるかな。ひとりだったら問題あると思っているから通わせるのに抵抗があるんだけど、3人くらいいればまあなんとかなるんじゃないかと思ってる。本当は10人くらい同級生がいた方がいいんだろうけど、まあこれはしょうがないよね。でもここは1学年の人数が少ないから、低学年から高学年まで毎日お互いに顔を合わせていて、普通小学校6年生って1年生をバカにしたりするんだけど、ここの小学生はバカにしないでちゃんと1人の人間として向き合っていて、そこまで6年生のレベルで対応できるのは大したもんだなと思う。そこらへんも含めて教育的にはすごく良いところなんだと思うな。僕だったら話せって言われても「え、1年生に!?」って思うもんね(笑)言うことは言う、やらせることはやらせる。だから彼ら自身が先生みたいなもんなんだよ。人数が少なくてもそこら辺の人間関係がきっちり出来るのは良いところだね。

あとは運動の面で、一輪車とかも含めて、みんな個別で出来るまでやるんだけど、市街地の小学校なんかだと人数が多いからそれができないじゃん。ここは少ないからこそみんなでやっていくから、絶対落ちこぼれることがないんだよね。そこもたぶん人数が少ないメリットなんだろうな。人数の多いところだと一輪車なんか何百台あっても足りないじゃん。ここだったら数十台あれば足りるからさ。1人1台持てるからみんな休み時間にも練習できるし、プールとかもそうだけど、自由に個別で出来るっていうのはメリットなんじゃないかな。教材もそう。パソコンとか理科とか技術とかも含めて、全部1人で1つのものが使えるでしょ?みんなでやるのも一つの方法なんだけど、全員に行き渡って、それぞれが道具を使えるメリットがある。見てるだけじゃなくて1人1つを使いこなして自分でやれるっていうのは、すごいメリットだね。

― お子さんが大きくなったときに、学校のことなどこの地域ではいろいろ不便なことも出てくると思うのですが、その辺りはどのようにお考えですか?

例えば高校生になるときに、「外の私立に出たい」ってなったら別に行けばいいし、どこか行きたいっていう自分の意思があれば下宿っていう方法もあるし、別に良いんじゃない?って思う。自分も千葉から離れて東京の高校に行ってたからだけど、別にもう高校生になったら外に出るのも良いんだよね。やっぱり自分も外に出て世間を知ったし、千葉に居たら分からなかった「いろんな生き方がある」ということを知ることができた。東京に行ったらいろんな大人がいる。「こいつなにやってんの」っていう人から、働き方も様々じゃん。店とかもいっぱい種類があるし、ろくでもない大人もいっぱいいたんだけど、それでも生きていけるんだっていうのを初めて知った。「こんな大人が生きていけんの!?」っていうのが驚きでもあったし、でも自分の可能性をすごく広げてくれたね。だから、やっぱり高校生くらいになったら感受性も強くなるし、まあ親元から離れても僕は全然構わないと思う。その方がたぶん良いよ。下宿が良いなって思うのは、自分だけで生活するのは無理だから下宿で飯も出してくれたら助かるし、その時の友達って絶対将来長く付き合うする友達だから、もし本人がそこに行きたいって言ったら、僕は絶対進める。行きたいっていう意思があったら、その方が大人になった時いろんな面で鍛えられるしいい経験になると思っているから、だから別にここに留まって地元にいなさいっていうのは全然ないかな。ただ、人に言われてどうこうっていうのはどうかなとは思うけど、まあそういう選択もあるからね。

― 親の役割として心がけていることはありますか?

今は小学校の段階から地元の企業を訪問したりするようになって、小さい頃からいろんなことを見れる良い時代ではあるよね。特にこっちだと人数が少ないからさ、地元の企業を回れるから、あれは良い。いろんな選択肢を小さい時から知れるっていうのは大事なことだと思う。僕らが言うべきことは、そんないろんな選択肢を見て、実際仕事とかもいろんな経験をしてみて、それでどう生きるか、っていうのを考えるのは中学生くらいからできるようになっていた方が良いと僕は思うね。そしたら、高校に行くのか、高校も専門のところに行くのかっていう選択ができるじゃん。そうすると、長い人生で自分のやりたいことをやっていけるから、すごい意味があると思うんだよね。なるべくいろんな大人と会わせて、いろんな仕事を見ること。仕事って結局勉強と同じで、全部その勉強したことが理に適っているんだよね。大人がちょっと発言したことが「あ、これこの間言ってたことだ」って勉強に活きるじゃん。そういうことは大事だよね。僕が親としてできるのはいろんな大人と会わせること。実際の今のお勉強と社会が繋がっているのはここだっていうのをいろんな機会をもって教えてやれるから、そうすると自分がしている勉強の意味も分かってくるし、自分は何がしたいのかっていうのも自然と分かってくると思うんだよね。それは親がやるべきことだと思ってる。

まあ勉強もそうなんだけど、いろんな生き方があって、そこに近道で行ける方法っていうのを一重御紹介することで僕は教えてあげられるし、自分は遠回りの人生を歩んできたから遠回りで人生を築き上げていく方法も知っているし、別にどっちの道も教えてあげられるんだけど、子どもの方がたぶん頭も良くなるし、僕がしてあげられることっていうのはこれまでの積み重ねでしかないからさ、結局親の役割ってそれくらいかなって思ってる。生き方を選ぶのも本人次第だしね。

根來真代さん

プロフィール

根來真代(ねごろまよ)さん
1986年生まれ 福島県出身

家 族 : 3人(夫:根來文博さん、子)
仕 事 : 主婦
住まい : 熊野市井戸町

経歴

福島県会津出身
美術大学(東京)卒業
会津に戻り、木工・畑作業など
2014年5月 熊野市へ移住


「田舎に住むことに関して」

Q. 熊野市へ来た経緯を教えていただけますか?

 ここには以前に来たことがあったし、下見にも来て、良いところだなと思った場所なんですけど、はじめは住むことになるとは思っていなかったです。今までは、自分がしたいことを実現できる場所をたどり歩くように住む場所を決めてきたんですけど、今回はどちらかというと夫の仕事に付いてきた感じですね。自分がしたいことは、まだほんの少ししかできていないんですけど、少しずつ実践していきたいなと考えています。

Q. その「したいこと」について詳しく教えていただけますか?

 したいことはたくさんあるんですけど、一言で言うと「人と関わる中で、自分を表現すること」ですかね。
 もともと「もの」や「暮らし」に興味があって、美術大学に通っているときも民俗学とか文化人類学とかが好きだったんですけど、熊野は福島県とは違う気候風土にあるので、木や家のつくりなんかにもついつい目が行ってしまいます。人の手が加わる経年変化によって、どんどん存在感を高めていくようなものが好きなので、その土地の民具なんかも大好きです。熊野ではまだ民具を見ていないんですけど、とにかく荷物がいっぱいあるところが好きで、納屋があれば掃除をしてでも入ってみたいし、そんな収集活動をしにいろんなところを回ってみたいですね。出来ることなら古道具屋とかやってみたいです(笑)

 なんというか、その「暮らしている」っていう感じが好きで、おばあちゃんと話すのも好きだし、百姓のおじさんと話すものも好きだし、そこで長く暮らしてきた「知恵」がある人がいると、ついていきたいなあと思います。ここに来る前は福島の会津に住んでいたんですけど、そこにはまだ昔の暮らしが残っていて、ものしりのおじさんを追いかけたりしていました。山の暮らしを学びたいと思って地元の人の家に住み込んで、田んぼとか畑とか、木工をやったりもしてました。今も残っている技術というか、生活レベルの知恵が好きなんですけど、今はそれがあまりに失われすぎていることに少なからず危機感を感じていて、梅干しの漬け方とか、ロープの結び方とか、何気ない日常の知恵をできるだけ継 承していきたい気持ちがあります。古道具収集も知恵の継承も、どちらかというと「みんなで共有したい」という強い気持ちが大前提としてあるので、それをひとりでやるのではなく、単純にみんなで集まってそれをするのが楽しみなんですけどね。

 とりあえず暮らしていけるだけの収入がないと何もできないので、まだ何か始めたというわけではないんですけど、まずはなるべく自給の暮らしに近い生活を実現して、余力があれば今後いろいろ手を出していきたいですね。失敗もして良いから、自分の暮らしをブラさないように、自分なりに積み重ねていきたいです。

Q. 熊野に移住して良かったこと、気になることなどありますか?

 人との出会いには恵まれていますね。移住してきた人なんかは気も合うことが多いし、知り合いの幅は増えている気がします。ただ、ここで一生生活するような意気込みがあるかというと今はまだはないので、「ここに住んで、頑張って」とか「ずっとここにいて」などと言われると、ありがたいことなんですが、それをプレッシャーに感じることも多いです。 

 あとは、何でもそうなんですけど「良いものを作れば売れる」という考えが私の中にずっとあって、ただ量をたくさん作ればいい時代ではないと思いますし、売り方を工夫すれば物は売れると思っているので、例えば今の効率優先の農業なんかにも違和感を感じています。自分が作る野菜くらいはなるべく昔のように土の力で育てたいなあと思っていたので、畑を借りて実際にそれを実践できている環境にあることはありがたいですね。

「田舎での子育てに関して」

Q. 簡単に今の状況を教えていただけますか?

 まだ子供も小さくて保育所に預けたりはしていないのですが、熊野市が運営している「ひよっこ」という子育て支援センターによく行っています。保育所に併設された児童館みたいな場所なんですけど、同世代の子育てをしているお母さんたちが集まっていて、最近は一緒にご飯を食べに行くような知り合いも出来ました。私は移住者ですし、自分たちだけで子供の面倒を見ることにすごく不安があったのですが、普通に過ごしていたら会うことの無いお母さんたちに出会える貴重な場所があることで、すごく救われていますね。そこがなかったらどうしていたのだろうと今でも思います。

Q. 今の「子育て観」などあれば教えてください

 そうですね、全て教育機関に頼るのではなくて、自分で出来ることはなるべくしてあげたいですね。せっかく田舎にいるのだから、自然環境が揃っているのだから、大自然の中で遊んだり、田舎ならではの生活を実践したりして、体験を通した学びを提供してあげたいと思っているし、自然とともに生きる力を子供には身に着けてほしいなとも考えています。ちゃんと火を使う生活を見せてあげたいし、排水の行き先だとか、薪はどこから来ているのかとか、すべてが循環しているような生活を見せてあげたいとも考えています。都会だといろいろ制限もあるのですが、田舎ではそんな体験が実現できる環境が揃っていると思うので。 

 私は、両親が自営業をやっていたということもあるのですが、小さい頃にあまりこういう経験をしていなくて、夏休みに一緒に川に泳ぎに行ったりなんてほとんどなかったし、せかせかと働いている様子が嫌だなと小さい頃から思っていて、寂しい思いをしながら幼少期を過ごしていました。こうした田舎での自然に囲まれた生活というのが自分の憧れだった分、自分の子供にはしっかり体験させてあげたいと考えていますし、とは言え私もまだまだ多くのことを学びたいので、この子と一緒にたくさん共有していきたいです。

根來真代さん"

Q. 実際熊野市に住んでみて、その観点からどのようなことを感じますか?

 なんとなく感じることなんですけど、都会に出ていく子たち、特に地元の魅力を感じず離れてしまう高校生たちって意外と多いんじゃないかと思います。卒業後は名古屋や東京に行くということを、中学生の時点で決めているような子がいて驚くことがありました。別に都会に出ていくこと自体を反対しているわけではないんですけど、こっちに住んでいる大人としてはその感覚をちょっと寂しく感じますし、またこちらに戻ってきてもらうためには私たち大人に何ができるんだろうってよく考えます。せめて良い思い出をもって外に出ていってほしいなと思うのですが、やはりここでしかできないことを小さい時に体験させるということが、その足掛かりになる気がしています。中学生にそういうのをさせると無理強いになるかもしれないけど、面白がって何でもやるような小学校低学年くらいの子たちがさらっと体験できる環境を作ってあげることで、大人になった時に 「昔こんなことしたなあ」とふと思い出してくれたり、「またそういう暮らしがしたいなあ」と思って戻ってきてくれたりするんじゃないですかね。環境としてはとても適していると思いますし、幼少期を田舎で過ごすというのはとても良いことだと思います。小学校から英語を学ぶのもいいけど、都会ではなく田舎に視点を向けて、田舎でちゃんと遊べる術、生活できる術を小さい頃から身に着けられる環境を整えてあげたいですね。次世代にこうやって昔の知恵を伝えていくことは、私のしたいことでもあります。

Q. 子育てに関して、不安に思っていることや、今後期待していることはありますか??

 田舎に住むと決めた時点で不便なことは覚悟していたので不安という不安はないのですが、同世代の子供たちがもう少し増えたらいいなとは思いますね。同級生が多いのが良いのか少ないのが良いのかという話にもなりますが、人数が少ないからと言って田舎に住まない理由にはならないですし、1人でも多ければ全然環境は変わるんだろうなとも思うんですけど、少ないなりに子供たちの生活・教育をいかに充実させていくかというところで、もっと親として積極的に関わっていければと考えています。人数が少ないからこそできる親の関わり方もあると思いますし。そういう意味では、子育て世代の人たちを集めて一緒に何かしたいなとも考えていて、先ほどから言っているような「そこでしかできない教育」を具体的に実践したいと考えています。例えば、「森のようちえん」のような取り組みなどは素晴らしいと思っていて、単に田舎アピールをするのではなくて、こうした教育環境を目指して移住するような人がもっと増えることを期待していますし、そこに集まった人がそれぞれアイデアを持ち寄って新たな取り組みが始まる雰囲気になれば素敵だなと思います。保育所の給食の野菜は家庭菜園で採れたものを使いましょうとか、その程度の小さなことからでいいと思うんです。お金をかけずにどんどんチャレンジできるのも田舎ならではのアドバンテージだと思うので、そうした取り組みが増えるような、楽しい取り組みが始められればいいなと思います。

(取材・編集:横田直也)

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