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永井芳美さん

プロフィール

永井芳美さん
1979年生まれ 和歌山県太地町出身

家 族 : 4人(夫、娘、息子)
仕 事 : 佑天(うゆんて)、 ICA認定クレイセラピスト
住まい : 御浜町尾呂志地区

経歴

2007年 航空自衛隊、保険会社勤務などを経て、新宮市へ
2013年 御浜町尾呂志へ
2015年 ICA認定クレイセラピスト、ハーブコーディネーター資格取得
2015年 佑天(うゆんて)オープン
2015年 5月みはまるしぇスタート


Q.今の地域に住むまでの経緯を教えてください。

 もともと海沿いの田舎の出身なんですけど、山での田舎暮らしがしたかったんです(笑) 九州から関東までいろんなところを転々として、紆余曲折あって9年前に和歌山に帰って来ました。しばらく新宮に住んでいたんですけど、山奥の家が空いていたと聞いて喜び勇んで引っ越してみたものの、太陽が10時に出て14時に沈むという想像以上に寒いところで、畑の作物は野うさぎや鹿に片っ端から食べられてしまうし、通勤もしんどくて。結局、2年ぐらいで挫折して市街地に戻りました(笑)

 結婚を機に新宮を出ることになったんですけど、今度は山間部でも日当りが良くて寒くないところがいいなと希望しました(笑)運命みたいに今の家に出会い、即決でした。写真でしか見たことがなかった「風伝おろし」が家の窓から見えるし、畑も出来そうだったし、農業を超頑張っている「夢アグリ」というエコファーマーのグループがあるし、農作物の直売所も近くにあって、野菜も米も美味しいと評判で、もうここしかない!って思いましたね。


永井芳美さん

Q. 住んでからの生活はいかがでしたか?

引っ越した当時は妊娠中で、安静にしておかないといけなかったので思うように動くことが出来なくて、結局入院してしまったんですけどね、子どもが生まれてからはもっと動けなくて。自分のことが何もできないストレスがすごかったです。その頃は周りに友達もいないし、近所のおばあちゃんとは仲良くしていたんですけどね、社会との繋がりがないというか、自分には価値がないって暗くなってました。子どもは可愛いし子育てが嫌というわけじゃないけど、家のことだけ、子どものことだけをしている生活はつらかったです。子育て支援室っていうのを行政がやってくれてるんですけど、そこまで行くのに車で20分くらいかかるんですよ。数回行って、足が遠のきました。「今日、人間と喋ってないかも…」なんて日もありました。やりたいことがあるけど子どもがいたら思うようにできないし、元気もなければ収入もない…、という感じで1年ぐらい悶々としながら過ごしていました。

永井芳美さん

息子が1歳になろうとしていた頃、本宮に移住した主婦たちが主催している「イコラポカラ」という青空市に行ったんですよ。会場内でたくさんの子どもが走り回っていて、子連れのお母さんが赤ちゃんをおんぶして店を出してたり、小さな子どもが店を手伝っていたり。みんな笑顔ですごく楽しそうで、生き生きしていて、キラキラしていて、子どもがいてもやりたいことを諦めていない人たちがたくさんいたんですよ。「私も仲間に入りたい!そういう人たちと一緒にいたい!」とそのとき強く思ったんです。でも、自分には売るものもなければ特技もない…。ただ畑をやりたい、ハーブを栽培したいという思いがあったので、とりあえず畑を借りるところから始めてみました。畑といっても何年か放置されていて雑草天国なんですよ。1歳の息子が常に一緒なので、なかなか作業がはかどらなくて、とにかくしんどかったです。自分より背の高い雑草たちを1週間ぐらいかけて草刈りして、草は燃やせと言われたので集めて乾かしてから燃やして。けっこうな広さだったので、草刈りだけで夏が終わりそう…なんて思いながら作業してたら、通りがかりのおっちゃんたちが「協力したるよ」って言ってくれて、トラクターで土起こしてくれたり、畝立てを機械でやってくれたり、植え付けをしていたら「芋の苗あげるよ」と言ってくれたり、有り難いことに協力してくれる人がどんどん増えました。

 そうこうしていると直売所の組合に登録しないかと声を掛けていただいたので、ハーブなどをちょっとずつ出品するようになりました。毎月数千円の売り上げでしたけど、専門書を買ったり、資格を取ったり、ハーブクラフトの材料を買ったり、少しずつ前進しました。冬が来るころには「木花堂」さんや個人宅でアロマキャンドルやハンドクリームなどを作るワークショップをさせてもらうようになって、なんと憧れの「イコラポカラ」(2015年1月)に出店できることになったんですよ!利益はほとんどなかったんですけどね、青空市に出店するとか初めてのことだったし、ひとつ夢が実現できたっていう達成感を得ることができて嬉しかったです!気がついたら友だちも増えてました。

― 今取り組まれている「みはまるしぇ」の活動もそこから始まったのですか?

 そうですね〜。「イコラポカラ」のあと、3月に「須野(すの)マルシェ」に参加したんですけど、低予算でもマルシェができるんだ!会場が判りづらいところでも国道から離れていても人は来てくれるんだ!って、色々な意味で刺激を受けたんですよ。4月には本宮で「イコラポカラ」、熊野川で「九重(くじゅう)マーケット」に参加したんですけど、三重県サイドの知り合いや友だちから「こっちでもイコラポカラみたいなのをやってほしい」っていう声があって、それで「みはまるしぇ」を5月末にやることになりました。  開催日の一ヶ月前から動き始めたので、今考えたらだいぶ無謀でしたね(笑)

Q. みはまるしぇに出店される方はどのような方が多いですか?

 子育て世代が子連れで出店しやすいようにしているので、手芸や工作など物作りが好きな同世代のお母さんが多いですね。子どもが一緒だと制作時間が殆どなくて、昼寝している時や夜中にコツコツ作業する感じなんですけど、「子育てと家のこと」をするだけの毎日に新しい目標が出来て、生活が楽しくなってきたってよく言ってもらえます。

  最初はお母さんが多かったけど、今ではお父さんも増えて、おじいちゃんやおばあちゃんの参加も増えてます。「自分も何か作って売ってみたい」という子ども店長も増えてます。

  お店を持ちたいという夢がある方や、学生さんの参加もあればいいなって思ってます。


永井芳美さん

Q. 子どもが店を出すことについてどうお考えですか?


永井芳美さん

 とても良い経験だと思います。うちの子(小学3年生)は企画から仕入れ販売まで全て一貫して自力でやってるんですけど、やってみて初めて判ることも多いし、色々な面で自信につながると思うんですよ。将来、就職して、ある日突然リストラされたとしても、自分で仕事を生み出せる力が備わっていれば何処でも生きていけると思うんです。商売はお客さんがあってこそ成り立つもので「感謝の気持ちがお金になる」ということも実感できますし、色々な人に支えられていることも体感できます。学校では学べない貴重な体験だと思います。

  手作り品の販売だけではなくてワークショップもやっているんですけど、人に何かを教えたり伝えたりすることって、簡単なことじゃないですよね。大人でも難しいと感じることを、子どもの頃から創意工夫しながらやってみるって、すごい財産になるんじゃないかと思います。

Q.特に大事にされてる考えはありますか?

  九重マーケットのときに、お香づくり体験をやったんですけどね、その時に、「こういう体験ができる機会がもっとあればいいな」っていう声をたくさん聞いたんですよ。子育て世代が求めているのは、「体験」なんだって強く感じたんです。体験を通して、子どもの得意なことや好きなことが判るし、つくることはただ楽しいだけではなくて、その大変さもわかって、ものを大事にしようと思う気持ちにも繋がるし、つくってくれた人に感謝の気持ちを持つこともできて、心が豊になると思うんです。

  あと、農作物だけではなくて、日用品や服、家具なども地元でつくっている人から買って、循環させていく「地産地消」がやっぱり大事だと思いますね。壊れたら直してもらえるし、リメイクもできるし。それから、音楽、知識、技術なんかもちゃんと地産地消していこうよ、っていつも思っています。みんな謙遜して破格の価格設定をしているけど、ちゃんと利益が出るように価値を上げていってほしいなと思っています。

Q. みはまるしぇはどのような場だとお考えですか?

  「みはまるしぇは出店者とお客さんとの間に壁がないね」「ゆるい一体感が心地よい」などと言ってもらえます。作り手の顔が見えるし、話もできて安心できる。出店者自身がみはまるしぇを楽しんでいて、利益を出そうとガツガツしていないので雰囲気が柔らかいというか。

 人と人との繋がりと体験を大切にしている青空市なので、みはまるしぇがきっかけで仲間ができたり新たな夢ができたり、可能性も広がればいいなと思ってます。

永井芳美さん

Q. みはまるしぇは今後どのようになっていくのでしょうか。

 みはまるしぇの拠点となる、実店舗があればいいなと思っています。みはまるしぇ出店者の品物が揃っていて、物作りなど様々な体験ができる。出店者やお客さん同士の交流もできて、友だちも増える。行けば何か楽しい事が待っている、そんな場所を作りたいですね。

 私自身、みはまるしぇがきっかけで知り合い仲良くなった人が沢山いて、応援してくださる方も増えました。みはまるしぇ出店者の交流会もやっているんですけど、みんな本当に仲良しなんですよ。日々の雑談はもちろん、夢を語ったり相談したり、切磋琢磨して次に繋げたり。子どもたちも毎回すっごく楽しそうに遊んでいます。暗くなっても帰りたくないって泣くほどですよ(笑)ずっと良い関係でいられたらいいなって思います。

 最後に…、みはまるしぇの活動が、地域活性化に繋がり、地元に帰って来てくれる人が増えるといいなと思っています。

 いつも、あたたかいご支援ご協力、ありがとうございます。


(取材・編集:横田直也)

根來真代さん

プロフィール

根來真代(ねごろまよ)さん
1986年生まれ 福島県出身

家 族 : 3人(夫:根來文博さん、子)
仕 事 : 主婦
住まい : 熊野市井戸町

経歴

福島県会津出身
美術大学(東京)卒業
会津に戻り、木工・畑作業など
2014年5月 熊野市へ移住


「田舎に住むことに関して」

Q. 熊野市へ来た経緯を教えていただけますか?

 ここには以前に来たことがあったし、下見にも来て、良いところだなと思った場所なんですけど、はじめは住むことになるとは思っていなかったです。今までは、自分がしたいことを実現できる場所をたどり歩くように住む場所を決めてきたんですけど、今回はどちらかというと夫の仕事に付いてきた感じですね。自分がしたいことは、まだほんの少ししかできていないんですけど、少しずつ実践していきたいなと考えています。

Q. その「したいこと」について詳しく教えていただけますか?

 したいことはたくさんあるんですけど、一言で言うと「人と関わる中で、自分を表現すること」ですかね。
 もともと「もの」や「暮らし」に興味があって、美術大学に通っているときも民俗学とか文化人類学とかが好きだったんですけど、熊野は福島県とは違う気候風土にあるので、木や家のつくりなんかにもついつい目が行ってしまいます。人の手が加わる経年変化によって、どんどん存在感を高めていくようなものが好きなので、その土地の民具なんかも大好きです。熊野ではまだ民具を見ていないんですけど、とにかく荷物がいっぱいあるところが好きで、納屋があれば掃除をしてでも入ってみたいし、そんな収集活動をしにいろんなところを回ってみたいですね。出来ることなら古道具屋とかやってみたいです(笑)

 なんというか、その「暮らしている」っていう感じが好きで、おばあちゃんと話すのも好きだし、百姓のおじさんと話すものも好きだし、そこで長く暮らしてきた「知恵」がある人がいると、ついていきたいなあと思います。ここに来る前は福島の会津に住んでいたんですけど、そこにはまだ昔の暮らしが残っていて、ものしりのおじさんを追いかけたりしていました。山の暮らしを学びたいと思って地元の人の家に住み込んで、田んぼとか畑とか、木工をやったりもしてました。今も残っている技術というか、生活レベルの知恵が好きなんですけど、今はそれがあまりに失われすぎていることに少なからず危機感を感じていて、梅干しの漬け方とか、ロープの結び方とか、何気ない日常の知恵をできるだけ継 承していきたい気持ちがあります。古道具収集も知恵の継承も、どちらかというと「みんなで共有したい」という強い気持ちが大前提としてあるので、それをひとりでやるのではなく、単純にみんなで集まってそれをするのが楽しみなんですけどね。

 とりあえず暮らしていけるだけの収入がないと何もできないので、まだ何か始めたというわけではないんですけど、まずはなるべく自給の暮らしに近い生活を実現して、余力があれば今後いろいろ手を出していきたいですね。失敗もして良いから、自分の暮らしをブラさないように、自分なりに積み重ねていきたいです。

Q. 熊野に移住して良かったこと、気になることなどありますか?

 人との出会いには恵まれていますね。移住してきた人なんかは気も合うことが多いし、知り合いの幅は増えている気がします。ただ、ここで一生生活するような意気込みがあるかというと今はまだはないので、「ここに住んで、頑張って」とか「ずっとここにいて」などと言われると、ありがたいことなんですが、それをプレッシャーに感じることも多いです。 

 あとは、何でもそうなんですけど「良いものを作れば売れる」という考えが私の中にずっとあって、ただ量をたくさん作ればいい時代ではないと思いますし、売り方を工夫すれば物は売れると思っているので、例えば今の効率優先の農業なんかにも違和感を感じています。自分が作る野菜くらいはなるべく昔のように土の力で育てたいなあと思っていたので、畑を借りて実際にそれを実践できている環境にあることはありがたいですね。

「田舎での子育てに関して」

Q. 簡単に今の状況を教えていただけますか?

 まだ子供も小さくて保育所に預けたりはしていないのですが、熊野市が運営している「ひよっこ」という子育て支援センターによく行っています。保育所に併設された児童館みたいな場所なんですけど、同世代の子育てをしているお母さんたちが集まっていて、最近は一緒にご飯を食べに行くような知り合いも出来ました。私は移住者ですし、自分たちだけで子供の面倒を見ることにすごく不安があったのですが、普通に過ごしていたら会うことの無いお母さんたちに出会える貴重な場所があることで、すごく救われていますね。そこがなかったらどうしていたのだろうと今でも思います。

Q. 今の「子育て観」などあれば教えてください

 そうですね、全て教育機関に頼るのではなくて、自分で出来ることはなるべくしてあげたいですね。せっかく田舎にいるのだから、自然環境が揃っているのだから、大自然の中で遊んだり、田舎ならではの生活を実践したりして、体験を通した学びを提供してあげたいと思っているし、自然とともに生きる力を子供には身に着けてほしいなとも考えています。ちゃんと火を使う生活を見せてあげたいし、排水の行き先だとか、薪はどこから来ているのかとか、すべてが循環しているような生活を見せてあげたいとも考えています。都会だといろいろ制限もあるのですが、田舎ではそんな体験が実現できる環境が揃っていると思うので。 

 私は、両親が自営業をやっていたということもあるのですが、小さい頃にあまりこういう経験をしていなくて、夏休みに一緒に川に泳ぎに行ったりなんてほとんどなかったし、せかせかと働いている様子が嫌だなと小さい頃から思っていて、寂しい思いをしながら幼少期を過ごしていました。こうした田舎での自然に囲まれた生活というのが自分の憧れだった分、自分の子供にはしっかり体験させてあげたいと考えていますし、とは言え私もまだまだ多くのことを学びたいので、この子と一緒にたくさん共有していきたいです。

根來真代さん"

Q. 実際熊野市に住んでみて、その観点からどのようなことを感じますか?

 なんとなく感じることなんですけど、都会に出ていく子たち、特に地元の魅力を感じず離れてしまう高校生たちって意外と多いんじゃないかと思います。卒業後は名古屋や東京に行くということを、中学生の時点で決めているような子がいて驚くことがありました。別に都会に出ていくこと自体を反対しているわけではないんですけど、こっちに住んでいる大人としてはその感覚をちょっと寂しく感じますし、またこちらに戻ってきてもらうためには私たち大人に何ができるんだろうってよく考えます。せめて良い思い出をもって外に出ていってほしいなと思うのですが、やはりここでしかできないことを小さい時に体験させるということが、その足掛かりになる気がしています。中学生にそういうのをさせると無理強いになるかもしれないけど、面白がって何でもやるような小学校低学年くらいの子たちがさらっと体験できる環境を作ってあげることで、大人になった時に 「昔こんなことしたなあ」とふと思い出してくれたり、「またそういう暮らしがしたいなあ」と思って戻ってきてくれたりするんじゃないですかね。環境としてはとても適していると思いますし、幼少期を田舎で過ごすというのはとても良いことだと思います。小学校から英語を学ぶのもいいけど、都会ではなく田舎に視点を向けて、田舎でちゃんと遊べる術、生活できる術を小さい頃から身に着けられる環境を整えてあげたいですね。次世代にこうやって昔の知恵を伝えていくことは、私のしたいことでもあります。

Q. 子育てに関して、不安に思っていることや、今後期待していることはありますか??

 田舎に住むと決めた時点で不便なことは覚悟していたので不安という不安はないのですが、同世代の子供たちがもう少し増えたらいいなとは思いますね。同級生が多いのが良いのか少ないのが良いのかという話にもなりますが、人数が少ないからと言って田舎に住まない理由にはならないですし、1人でも多ければ全然環境は変わるんだろうなとも思うんですけど、少ないなりに子供たちの生活・教育をいかに充実させていくかというところで、もっと親として積極的に関わっていければと考えています。人数が少ないからこそできる親の関わり方もあると思いますし。そういう意味では、子育て世代の人たちを集めて一緒に何かしたいなとも考えていて、先ほどから言っているような「そこでしかできない教育」を具体的に実践したいと考えています。例えば、「森のようちえん」のような取り組みなどは素晴らしいと思っていて、単に田舎アピールをするのではなくて、こうした教育環境を目指して移住するような人がもっと増えることを期待していますし、そこに集まった人がそれぞれアイデアを持ち寄って新たな取り組みが始まる雰囲気になれば素敵だなと思います。保育所の給食の野菜は家庭菜園で採れたものを使いましょうとか、その程度の小さなことからでいいと思うんです。お金をかけずにどんどんチャレンジできるのも田舎ならではのアドバンテージだと思うので、そうした取り組みが増えるような、楽しい取り組みが始められればいいなと思います。

(取材・編集:横田直也)

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