根來文博さん

プロフィール

根來文博(ねごろふみひろ)さん
1971年生まれ 奈良県出身

家 族 : 3人(妻:根來真代さん、子)
仕 事 : 熊野市地域おこし協力隊(農業部門)
住まい : 熊野市井戸町

経歴

奈良県出身
福島県会津にて、1年半の豆腐屋修業
2014年5月 地域おこし協力隊として熊野市に着任


Q. 熊野市に来られた経緯を教えてください

 前から農業や林業、山には関心があって、原生林が残っていたり自然豊かなイメージのあるこの地域に憧れていました。以前から熊野との関わりがあったかというと、実はほとんどないのですが、旅の途中で近くを通ったことがあったのと、奥さんが知り合いを訪ねてこの地域に来たことがあったので、なんとなくイメージは持っていたんです。実際に来てみると、原生林というか、素晴らしい緑がたくさんあるし、とてもおおらかな人が多いし、自分たちと同じように移住してきた人たちとのつながりも徐々に広がってきて、地域に馴染めるかどうかすごく心配だったのですが、今は落ち着いて暮らすことが出来ています。

根來文博さん

Q. こちらに来る前は福島県にいたとお伺いしましたが、そこでは何をされていたのですか?

 元々は奈良県の出身なんですが、福島県の会津という場所で、1年半ほど豆腐屋修業をしながら田舎暮らしをしていました。脱サラして50歳くらいの頃に豆腐屋を始めたという、少し変わった経歴の方に教わっていたのですが、すごくこだわりが強い人で、その人独自の製法を直々に学んでいました。朝4時ころから昼くらいまで、配達や片付けなどもしながら、豆腐や厚揚げを作ってましたね。

Q. では、こちらで豆腐屋を始める、ということも?

 今は何とも言えませんが…(笑) ただ、この夏に熊野の豆腐屋さんが1軒閉めてしまうということを聞いて、そこの道具を分けてもらえる、なんて話もあるんですが、自分の力がそこで何か役立てられればいいなとは考えています。豆腐を作る時にたくさん出るおからを使ったお菓子なんかも最近は流行っていますしね。
 でも、やはりまずは農業メインで生計を立てていきたいとは考えています。自給自足のような、そういう暮らし方に憧れてこの地域に来ているので。それなら別に福島でも良かったんじゃないかと言われることもありますが、やはり先ほど言ったような魅力をこのまちから感じますし、何より切実なのは、福島では冬の間農業がストップしてしまうんです。寒くて。酒蔵などに勤めて別収入を得なければならない環境とは違い、年間を通じて農業をできるという部分にも魅力を感じています。

Q. では、現在のお仕事のことも少しお聞かせください

 2014年5月から、熊野市の地域おこし協力隊として着任しています。農業部門ということで、熊野市飛鳥町の畑を拠点に、特産品のめはり寿司に使われる高菜の生産をメインにしているほか、高菜の栽培時期以外にはとうもろこしやとうがらしなどの栽培も行っています。とても派手な作業とは言えませんし、手間のかかる大変な重労働でもあるのですが、朝から夕方まで畑で仕事をして汗を流しています。

Q. 地域の方とは馴染めていますか?

 畑のある飛鳥町ではなく、市街地の借家に住んでいるので、畑付近の方との交流の機会はあまり多くないんですけど、お昼休憩の時に近所の方が家の木陰を貸してくれたり、近くの小学生が帰り際に畑の前を通って声をかけてくれたり、そういった場面で人と関われている実感があることは嬉しいですね。自宅のある市街地でも近所付き合いはあって、野菜のおすそ分けをし合うような関係が築けていて、田舎のコミュニティに所属していることを日々感じます。

根來文博さん

Q. 今後の抱負をお聞かせください

 今はまだ地域おこし協力隊としての任期があるのでそれを全うしますが、任期後のことを考えると、どうやって収入を得るかを考えなくてはいけません。とはいえ、わざわざこの地域に来たのだから、いかに楽しんで生活をするかを考えて、理想な暮らしを追及していきたいと思っているので、自分のしたいことやこだわりをもっと具体的にして、より理想に近い形の生活を手に入れるためにすべきことをしっかり実行していこうと思います。

根來文博さん (取材・編集:横田直也)